夏がくれば思い出すこと、あるいは市谷亀岡八幡宮について


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夏がくればーとかいいつつ…尾瀬を思い出すどころか、むしろ立秋もとうに過ぎてしまいました。残暑お見舞い申し上げます。エントリーもひと月以上あいてしまいまして申し訳ありません。どちらかといえば、すでに過ぎゆく夏とかいろんなものごとに思いをはせる時分ですかね。ああ、今年の夏は鰻たべてなかったなあ…。

いちおうPRにひきつけますと、「夏がくれば思い出す(はるかな尾瀬♪)」とか、「土用の丑(には鰻)」、「ツーといえばカー」、「AときたらB」みたいな、「あるモノやコト」と「それとは別の、あるモノやコト」の組み合わせ・対応関係をつくってゆくこと、「A」を見聞きした人に自ずから「B」(という企業・商品etc.)を連想してもらえるようにすることは、私たちの仕事の目指すところの一つと言えます。

お仕事の事例はここでは名前とか出しにくいもので、かわりに当社のある市ヶ谷の、小さな神社をご紹介(勝手にPR)させていただければと思います。市ヶ谷で神社とくれば、そこは時節柄、靖国を連想される向きが多いことでしょう。まさに当地の知名度トップシェア神社といって異論はないかと思われますが。そんななか、このエントリーを読んでいただいた方には、また違ったお宮さんが市ヶ谷にあるんだなということを心のどこかにとめていただければと、そう思う次第であります。…無理やりですね。というか正直にいうと、たんなる個人的な歴史趣味とお散歩によるエントリーです、毎度まことに恐れ入ります…。

さて、JR市ヶ谷駅から外堀にかかる橋を渡って5分ほど。防衛省方面に少し歩き、靖国通りからビルの間の路地に入って、ゆるゆると坂をのぼってゆきますと、すぐ正面に小高い丘というか、階段が見えてきます。いちばん上の写真は、ビルの隙間を曲がったあたりから撮ったカットで、下の写真はその階段。この上に、「市谷亀岡八幡宮」という神社が鎮座しています。いわゆる“八幡さん”です。

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大通りが近いのに、あたりはなんだか時間の流れがゆっくりでした。階段をのぼっていくと、途中、左手に“お稲荷さん”のお社も。

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お狐様はちょいと凛々しげ。

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八幡さんより先にご由緒を書いてしまうと、こちらのお稲荷さんのお名前は「茶ノ木稲荷」、弘法大師空海が御鎮祭されたのが起こりと伝わります。この丘というか山の地主の神様で、古来この地は「稲荷山」と呼ばれたそうです。お大師様由来が本当かどうかはともかく、このお山一帯は昔から聖地として崇敬されてきたのでしょう。市ヶ谷の土地神様なわけですね。

階段をのぼりきって鳥居をくぐると、八幡宮の境内はこんなかんじ。

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ちなみに昨日8月15日は、ここ亀岡八幡の今年の例祭の日でした。同じ神様を祀る深川の富岡八幡宮も8月15日に例祭がありまして。あちらのお祭りは江戸三大祭の一つの深川祭として名高く、富岡八幡も400年くらいの歴史があります。

一方で、当地の亀岡八幡の歴史もけっこうなものです。社伝では、江戸城を築いた武将・太田道灌が、文明年間(1469-87年)に、江戸城鎮護のために鎌倉の鶴岡八幡宮から八幡神の分霊を勧請したのが起こりとされ、それで“鶴”に対して“亀”の名前がつけられたとされています。当初は江戸城の市谷御門内にあったのが、その後、土地神様の茶ノ木稲荷のある稲荷山に引っ越したとのことです。江戸時代には、五代将軍徳川綱吉のお母さんから寄進をもらったりして、境内は人形浄瑠璃とかが催されて賑わったそうな。

ただ、じつはもっとさかのぼって、市ヶ谷が鶴岡八幡宮の所領となっていた鎌倉時代の創建か―? との説もありまして。もしそうだとしたら700年近い歴史があることになります。古いもの好きな私などは、東京にこれだけ古いものが残っていると、けっこう嬉しくなります。

古い社殿が残っているという意味でなく、土地の古い記憶が今も息づいている―みたいな(なんか感傷的ですが)意味です。神社自体は、やっぱり空襲で全焼してしまいました。下の現社殿は、昭和37年に再建されたもの、とのことです。

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市ヶ谷といえば、こんな神社も残っています。皆さんの周りにも、どこかしらに何らかのお社がきっとあると思います。平和がつづいて、そんなお社がいつまでも大切にされてゆくといいなあ―と思います。 (TM)

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