日揮の広報対応について考える


今年の1月16日13時40分(日本時間以下同、現地との時差は-8時間)頃、アルジェリア東部でプラント建設大手、日揮の日本人駐在員らがイスラム武装勢力に拘束・殺害され、日本人10人を含む多くの命が奪われるという事件が発生しました。この痛ましい事件で際立っていたのは、同社の広報対応です。報道向けの状況説明を一貫して行ったのは、広報・IR部長でしたが、苛立ちを微塵も感じさせずに、冷静に状況を説明する姿が多くの共感を呼びました。

同社が行った会見の回数を調べてみたところ、16日から25日までの10日間(1月16日20時、17日9時、15時、20時、18日9時、20日9時半、21日0時半、11時半、15時、23時半、22日15時、24日15時、20時半、25日0時、11時半)で、実に15回に上りました。(注:筆者が新聞報道等により確認できたもの、時間は目安)一見、アトランダムに見えますが、新聞の締め切りやテレビニュースの放映に配慮した時間設定になっていることがわかります。

24日20時半の会見では、安否不明だった最後の一人の死亡が確認されたことを説明、これまで気丈にふるまってきた広報・IR部長が涙で声を詰まらせる映像を見て、いたたまれない思いに駆られたのは私だけではなかったのではないでしょうか。25日の朝に、亡くなった10人のうち9人の遺体を乗せた政府専用機が羽田空港に到着し、同乗していた同社の社長が記者会見を開きました。11時半過ぎのスタートでしたが、NHK、民放合わせて6局が生中継を行いました。

今回の一連の対応に、「手本としたい」、「勉強になった」といった広報関係者の声を多く耳にしました。その一方で、「なぜ、(25日の会見まで)社長や役員が説明に出てこなかったのだろうか」という声も複数聞きました。あくまで「自分の会社で同じようなことが起こったら、どう対応するだろうか」という広報担当者の視点からの疑問ですが、意見を求められた私は、以下のように考えを伝えました。

① 社長が現地入りをいち早く決めたため、物理的に困難だった
「事件発生からしばらく時間が経過しても情報が錯綜し続け、何が真実なのかわからなかった。自分の目で確かめたいと思った」と社長が会見で述べたように、事件発生3日後には現地入りしています。従って、社長が会見をやろうにも物理的に困難だったのではないでしょうか。

② 情報が乏しい中、従業員の安全確保や安否確認が優先された
各役員も同様に、被害者やその関係者はもとより、政府、外務省、神奈川県警、従業員、顧客…等々への対応に追われていたことは想像に難くありません。(これ以外にもちろん、アルジェリア側の関係機関もあります。)また、今回の事件で日揮は全面的に被害者であるので、何よりも従業員の安全確保や安否確認を最優先に考えたはずです。この結果、報道対応を本職の部長に任せようとの判断があったのでは。併せてマスコミ側に「いずれしかるべきタイミングに社長会見を実施する」旨を非公式に伝えることも忘れていなかったのでしょう。

③ 実は社長は取材を受けていた
注意深く新聞を読むと、現地に向けて出発する19日に社長が空港で取材に応じていることがわかります。つまり、「社長が説明に出てこない」というのは誤解ということになります。(この日は広報・IR部長の会見が行われた形跡がありませんが、空港で社長とともに取材対応をしたのかもしれません。)

ここでは触れませんが、記者クラブなどからの再三の犠牲者の実名公表の要請に対し、「犠牲者の遺族、関係者に相当数の取材が行われている。これ以上のストレスやプレッシャーをかけたくないという姿勢は全く変わっていない」(1月25日付朝日新聞)と最後まで日揮は、非公表の方針を崩しませんでした。実名公表とメディアスクラムについて、新聞やネット上で多くの議論が巻き起こったという点でも考えさせられるケースとなりました。  (T)

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