ステマと非ステマの狭間、じゃなくて裏かな?


ドラマは世につれ世はドラマにつれなどと申します。

テレビドラマは、根本を流れている思想というかプロットは不変で何度も語り直しをしているにしても、表面的な設定には今様を取り込んで大衆の耳目を惹き付けるというところがありまして、ネット関係の「バズワード」もそのひとつとして使われます。少し前にはツイッターを取り入れた「素直になれなくて」(フジテレビ、2010年春期)というドラマがありました。

今期のテレビドラマではフジテレビ日曜夜9時の「dinner」を楽しみに見ています。

シェフが病に倒れたイタリアンレストランを江口洋介扮する客観的に言うとエゴの塊みたいな新料理長が再建していくという、舞台をどの業界に変えてもOKかつどの業界でも江口洋介が最も適役、というようなドラマです。

 

その第3話で、いわゆる「ステマ」的な要素が取り上げられていました。

真野響子扮するレストラン界のアルファブロガーを店に呼んでいいことを書いてもらおうと思ったんだけど、金銭を要求されたのでトンデモナイ!とお断りするというストーリー。

きっぱりとお断りすることが「かっこいい」という文脈で語られたお話でした。

 

ですけど、それって本当にそうなんですかね、って見ていたわたくしは思った次第です。

 

あらすじでまとめると上記のような図式なんですが、実はそう単純に結論づけるわけにいかないというのは、ドラマでの真野響子はアルファブロガーという以前に傲岸不遜で傍若無人というキャラ設定だったので、「お金を払っていい記事を書いてもらうことの是非」という問題よりも、「他の客の邪魔になる客をどう扱うか」という問題の方が大きくなってしまっていたためです。真野響子が追い出されたのは迷惑だったからであって、倉科カナは報酬やむなしという判断でしたからね。

他のお客様に迷惑な客に「二度と敷居をまたがんといてもらいまひょか」と告げるのはかっこいいです。でも、自分のブログに紹介記事を書くことに対して報酬を要求するのは間違ったことなんでしょうか?

 

倉科カナ(レストランの支配人です)が世間知らずという設定なのでこういうことが起きているわけなのですが、彼女は真野響子を招待して食事してもらえばそれだけでブログにいい紹介記事が書いてもらえると考えていたようです。社会的に影響力があると認めている人にまったくの無報酬で(食事代を無料にするつもりだったかどうかはドラマの中ではわかりませんでした)提灯記事が書いてもらえると考えている時点で、かなり無謀です。まずそのブログにどうしたら掲載してもらえるかを確認して、それから依頼するのが社会人として当たり前の手順だと思います。ましてや真野響子はそれを彼女のビジネスとしてやっているわけなんですから。

 

あれで真野響子が品格を備えた食客の鑑といえるような人物というキャラ設定で、「私は今ブログ原稿への謝礼だけで生活をしているので、今回の記事執筆にあたって規定の原稿料を支払ってもえらえないだろうか」と言ってきていたらどうだったんでしょうね。

…きっとドラマとしては面白くないものになっていたでしょうね。

 

さて、広報ということの本質が、ターゲットとしたオーディエンスの意識や行動に変容をもたらすことを目的に、そのオーディエンスに対して影響力を持つ「権威」を通じてメッセージを伝える、ということにあるのであれば、今回の真野響子のような「権威」は広報活動にとって重要なメディアであり、そのメディアを活用する際に「ビジネス」という関係が必要になってくるのは当然なんだと思います。謝礼なしで講演会をお願いすることがないのと同様に。

 

とはいえ、「惚れ込んでますから手弁当でなんでもやりますよ」、という関係が成立するのも、ブログの、インターネットの面白いところなんですよね。

 

さて、真野響子のブログは現実には存在しないのでなんとも言えないですが、謝礼をもらっていてもそうではないような、いわゆる「ステマ」な原稿のブログが設定されていたのであろうと想像されます。

であれば倉科カナには「原稿料はお支払いしますが、ブログの読者にそれがわかるように記事を書いてくださるようお願いします」なんていう啖呵を切ってほしかったなーと思います。それに快哉を叫ぶのは内輪のひとたちだけだろうなーとは思いますが。

 

(MS)

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