「トランプ大統領」の登場を不安げに見守るカナダ

11月の選挙で大方の予想と願いを裏切ってドナルド・トランプが次期米国大統領に選ばれた。選挙前から、おそらく世界のどこよりも(多分メキシコを除いて)「トランプ大統領」に反対してきた感のあるカナダでは、政府も民間もみんな大きなショックを受けている。

1月20日に迫った就任式を前にして、ホワイトハウスや主要閣僚の人事が固まりトランプ政権のかたちが見えてきた。トランプ大統領で自分たちに何が起こるか、世界が固唾を飲んで見守っている中、国境を接するカナダでは、選挙から2か月近く経ってもまだそのショックが冷めやらない。まだ「トランプ大統領」が受け入れられないという様子だ。

カナダのマスコミにはトランプ大統領がこの国に与える影響についての記事が後を絶たない。選挙が終わったのに、トランプ氏が政策的にも人格的にもいかに大統領にふさわしくないかを説く記事がまだ出てくる。(本国アメリカでは、票の数え直しやトランプ候補が獲得した大統領選挙人をヒラリー・クリントン陣営に寝返りさせようとする民主党陣営の最後の抵抗も成功しなかった。)

一方で、トランプ大統領はお隣アメリカの大統領で選んだのはアメリカ国民なのだ、カナダ国民はどうしようもないのだからトランプ大統領とうまくやっていくべきだ、とカナダ国民を諭す記事も出始めた。

どの国との外交関係もそういうものだが、カナダにとって国境を接した最も重要な大国、米国との関係をできるだけ「予測可能な」ものにするために長い年月をかけて多くの協定やとりきめ、ルールを積み上げてきたのだ。それなのに、トランプはそういうものの多くを一気にガラガラとくずしてやり直すと公約して当選したのだ。「再び強いアメリカを取り戻す」ために、「アメリカ・ファースト」と保護主義を掲げ、就任初日に、環太平洋経済連携協定(TPP)から撤退するだけでなく、22年も続いているカナダとメキシコとの北米自由貿易協定(NAFTA)を「破棄するか再交渉する」という公約がどうなるのか、カナダにとってはおそらく一番の不安だろう。

トランプの大統領選勝利直後の「グローブ・アンド・メール」社説(11月9日)は、トランプの「番狂わせの勝利」は「貿易依存のカナダ経済にとって最悪のシナリオだ」と見出しで嘆いた。

トランプ大統領はリチャード・ニクソン大統領以来最も保護主義の強いアジェンダを推進するといわれている。NAFTAを破棄して中国やメキシコに、それぞれ45%と35%の関税をかけると約束している。選挙運動中の公約、「アメリカの有権者との契約(“Contract With The American Voter”)」では、就任初日に「NAFTAを交渉し直すか、撤退する」と言っている。G7の中で最も貿易に依存する経済のカナダで、その製品輸出の4分の3近くが米国向けであるカナダにとって、NAFTAの解体は、米国向けのカナダの輸出にかかる関税が大幅に高くなる可能性があることを意味する。

輸出開発公社カナダ(EDC)の分析によると、NAFTAの解体は、米国向けの製品およびサービス輸出に一律10%の関税がかかるのに匹敵する影響がある。それは、カナダの輸出を4.5%も落ち込ませることになり、カナダのGDPが4%近く下落すると同時に73万7000人分の雇用が失われることになるとEDCは指摘している。(「グローブ・アンド・メール」社説11月9日)

もちろん、トランプの標的は、そしてトランプ大統領を選んだ米国の選挙民の標的も、カナダでなくてメキシコなのだが、NAFTAをがたがたに壊されて米国の利益に合わせて作り直されたのでは、カナダが標的でないにしても、カナダにとっては安心していられない。だから、トルドー首相は、選挙直後のトランプ大統領に「カナダ政府はいつでもNAFTAの再交渉に応じる用意がある」と言ったのだ。実際に、トランプ大統領と共和党多数の議会がNAFTAを、そして貿易全般を、どうしようとするのか、まだわからない。

トランプ大統領の誕生は、カナダ国内の、そして世界の気候変動政策も危うくすると懸念されている。トランプ候補は、オバマ大統領が積極的に進める環境政策を白紙に戻すと言ってきた。そうなれば、温室効果ガスの排出を抑制するための国際努力まで大混乱に陥ってしまう可能性が高い。トルドー首相と組んだオバマ大統領のリーダーシップで、2015年12月の第21回気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)は何とか新たな枠組みのパリ協定締結にこぎつけた。

トルドー首相は、パリ協定を受けてCO2 排出削減を、カナダのエネルギー部門の利害にも配慮しながらやろうとしてきたのだが、もしトランプ大統領が公約通りに、パリ協定から離脱してオバマ大統領の排出削減約束を反故にするなら、カナダのエネルギー業界は、トルドー首相の 排出削減策を受け入れないだけでなく、炭素を大量に排出する(カーボン・インテンシブ)産業は、トランプ大統領になって、環境規制が緩くなる米国に移転するかもしれない。米国の環境対策の多くは州レベルのものなので、カリフォルニア州などは炭素税などを継続するかもしれないが、ワシントンはその逆方向に動いている。世界最大の経済大国で世界最大のCO2排出国が、もはや気候変動を信用しないのなら、カナダのような国がとる炭素排出削減措置は意味がなくなってしまう。もしトランプ政権が、米国の炭素の価格を決める(オバマ政権の)方針を逆転させるのであれば、カナダで進めようとしている炭素税の実施はより困難になる。

トランプ大統領はカナダにとって悪い話ばかりではない。オバマ大統領が、キーストーンXLパイプライン建設の承認を6年間延ばしに延ばした挙げ句、米国の環境保護グループに媚びる民主党の政治を優先して、トルドー政権になっても承認を拒否してカナダをがっかりさせてきた。トランプ候補はキーストーンを、選挙公約の1つとして、大統領就任の初日に承認すると約束したのである。

トルドー政権とカナダの石油産業にとっては、キーストーンXLの建設は経済的、政治的行き詰まりを解除することになる。1日100万バレル以上のカナダの石油が、最も費用対効果の高い、政治的に最も問題の少ないやり方で、新たに市場に出ていくということを意味する。それは、トルドー首相にとっては、大きな、思いがけないギフトになる。

カナダの石油会社が計画している他のパイプラインが、カナダの他の州や先住民の土地を通っているので、政府が承認しても厄介な交渉などがあるが、キーストーンXLは、ほとんど全部が米国内を通るので、環境問題、政治問題があっても、それはみんな国境の南側、米国内の問題でカナダはほとんど影響を受けない。カナダの石油産業にとって画期的な「ゲームチェンジャー」となる。カナダの政治の風景をかえる。キーストーンのパイプライン建設がほとんど確実になってから、12月に入って、トルドー首相は、慎重だったカナダ国内のパイプラインのいくつかの建設を認める決定を出した。

リベラルで、思ったことを発言するトルドー首相が、賢明なことに、米大統領選挙期間中、トランプ候補について何も悪口を言わなかった。同じ自由党の政治家、オンタリオ州のキャスリーン・ウィン首相などが、トランプの女性蔑視やマイノリティ差別の発言に口を極めて非難、トランプを大統領にさせてはならない、と言っていたのと好対照だ。トランプ大統領とうまくやっていけると思う、というトルドー首相なら、トランプ大統領のアメリカと案外うまく「特別な関係」を新しく築くことができるかもしれないという期待がカナダのメディアにも見られる。かつて、米国との関係を、トルドー首相の父親でカナダの最も優れた首相の一人、ピエール・エリオット・トルドーは「米国の隣で生活することは大きな象と寝ているみたいだ」と表現した。象(米国)が寝返りを打つだけで、カナダはそれに影響される、象につぶされないようにしなければならない。どんな象になっても、うまくやっていくしかない。

 

石塚嘉一 トークス、シニアコンサルタント

Page Top