カナダと長野県の歴史的結びつき:ノーマン一家の活動

長野県民は旺盛な知識欲で知られ、かつて五右衛門風呂が当たり前であった頃、農家の主婦は風呂を沸かす間も岩波書店の高等な雑誌を読んでいるという伝説も生まれた。

長野県にはカナダ・メソディスト教会のダニエル・ノーマン(1864~1941年)と妻のキャサリンも住んでいた。1902年から1940年のことだった。彼はトロント市に近いオーロラの農家出身であったから、神学だけでなく農業にも詳しかった。稲作に加えて換金作物を求めていた農家にトマトを導入し、自転車や自動車を持ち込んだのも、この宣教師だった。教えには禁酒もあったが、二男はシェリー酒を嘗めながら雑誌を読む学者・外交官であった。ダニエルの教会に通っていた信徒には、戦後長野県知事になる人もいた。

長男のハワード(1905~1987年)は両親が別荘を構えていた軽井沢で生まれた。軽井沢はノーマン一家など外国人居住者が開発した避暑地である。彼らは軽井沢夏季滞在者協会という組織をつくって開発を進めた。

父の職業を継いで宣教に従事したのはハワードだった。1932年から富山などで布教をやった後、関西学院大学の教授になり、カナダ人生徒などの通う神戸市のカナディアン・アカデミーの舎監を務めた。ちなみに、彼よりも有名になる弟のE.(エジャートン)・ハーバート・ノーマン(1909~1957年)は1926年までこの学校に通っていた。ハーバートも軽井沢生まれの「長野県人」だった。姉のグレースは1903年の生まれだ。

兄弟の母を含む家族4人は、いずれもトロント大学で学んだ。ハーバートの場合は、さらにケンブリッジとハーバードの両大学での歴史学研究が加わる。彼が使いこなせる外国語はフランス語、ラテン語と日本語。

歴史家と一般読者に知られているハーバートの学術著書は「日本における近代国家の成立」「日本の兵士と農民」及び「忘れられた思想家――安藤昌益のこと」である。

これら3部作は、1868年に始まった明治維新によって日本がいきなり近代国家になったのではない、と説得力を持って説く。封建的な考えや行動は長年残存したし、その一方で江戸時代でも男女平等など民主的な思想を抱いていた安藤昌益(1703~1762年)のような人がいたとする。安藤は今の秋田県・青森県で医者をやっていた。

ハーバートは1939年にカナダ外務省入りを果たし、翌年日本の勤務となった。1941年12月に3等書記官に任命された。東京勤務の間(1940年5月~1941年12月、1945年9月~1946年2月)、彼は東京大学のフランス文学教授だった渡辺一夫(1901~1975年)ら、リベラルな人々と交流を重ねた。

これらの友人も彼がエジプト大使を務めていたカイロで1957年4月4日に投身自殺した時にはショックを隠せなかった。この頃、米国の上院では、赤狩りをやり、彼が共産主義者ではないかと疑っていたのだ。

ハーバート・ノーマンの代表作やエッセイ集は全集が出された後、岩波文庫に収められている。東京大学で哲学を学んだ岩波書店の創始者、岩波茂雄(1881~1946年)も長野県の生まれである。

潮昭太(東京在住フリーランス記者)

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